Unit
ユニット
アメイズ



ユニット名の由来
《前編》
上野の喫茶店。
飴屋「やあ。今日はご足労いただいて申し訳ない。鶯谷の先代LATCH!に聞いたんだ。次の鶯谷を担当するにふさわしい、歌がとびきりに上手い、面白い男がいると」
根岸「……そのことと俺に何の関係が?」
飴屋「その面白い男というのが、根岸優歌という名だと」
根岸「ひひひ、人違いですっ!」
飴屋「君は根岸優歌ではないと?」
根岸「俺は歌も上手くないですし、面白くだってありません!」
飴屋「しかし、鶯谷の先代は……」
根岸「俺くらいに歌を歌える人なんて星の数ほどいます! 俺はマントル到達級のド底辺なんですから! こんなド底辺にできることが他の人にできないわけないでしょう?」
飴屋「それに関しては、今は判断するための材料がない。僕は君の歌声を聴いたことがないからね。可能なら、どこかで君の歌声を聴かせてもらえるかね?」
根岸「歌……を、あなたに聴かせる……?」
飴屋(彼の顔は、みるみるうちに青ざめていく。それから……)
根岸「ヒィィィィィィ!」
(彼は椅子を蹴倒すほどの勢いで立ち上がると、珈琲代の600円をテーブルに残して、脱兎のごとく店を駆け出した)
飴屋「……足は速いな」
後日。上野のカラオケボックスの個室。
根岸「……最近知らない人に呼び出されることが増えたな……俺みたいなクズを、いったいどこの誰がどんな用事があってこんな場所に」
飴屋「クリームソーダとポテトフライ、お待たせしました」
根岸「えっ!? なんで……って、あんた!!??」
飴屋「ここなら思う存分歌えるだろう。さあ、歌っ――」
根岸「ヒィィィィィィィ!」
飴屋(それから幾度も、彼の断末魔の叫びを聞くことになった)
根岸「ヒィィィィィィ!」
根岸「ヒィィィィィィィ!」
根岸「ヒィィィィィィィィ!」
後日。深夜の新坂。
飴屋(今日も逃げられてしまったな。退勤のタイミングならつかまるかと思ったが)
飴屋(しかし、手間も時間もかけすぎた。先代鶯谷推薦者の線は、諦めるほかないか)
飴屋(根岸優歌に興味はあるが、歌が聴けないのではどうしようもない)
飴屋「また一からやり直しか……ん?」
飴屋(気づけば、遠くから美しい調べが聴こえる)
飴屋(これは、歌、だ……)
飴屋(前方に視線を凝らすと、新坂跨線橋に、彼はいた)
飴屋(手すりに身を預け、空を見上げて――)
飴屋「……!」
飴屋(それが彼の歌声だと、すぐにはわからなかった)
飴屋(歌声があまりにも柔らかく、透き通っていて――それはまるで、星々が発する、空そのものが発している音のように思えたから)
飴屋(けれど、その歌声を紡いでいるのは、間違いなく根岸優歌、その人だった)
根岸「~~~♪」
飴屋(空に瞬く星々に溶け込むように、彼の姿が夜の高架に浮かぶ)
飴屋「くっ……はは、ははははは……!」
飴屋(誰でも俺みたいに歌える、か)
根岸「~~~♪」
飴屋(まるで天上の音楽のように澄み切った、しかし力強い歌声が、鶯谷の線路を覆う)
飴屋(後になって、僕は気づくことになる)
飴屋(この瞬間、僕はもう、迷宮に迷い込んでいたのだ)
飴屋(根岸優歌の作り出す、複雑怪奇でとびきり美しい、驚くべき迷宮に)
《後編》
上野の喫茶店。
根岸「……休みの日に外に出てお茶なんて、こんなド陰キャ生ゴミの俺がしていいわけがないのに。でも、歌を聴きたいわけじゃないって言うから……じゃあ何言われるんだ? やっぱり来なきゃよかった」
飴屋(小声で独り言をつぶやいているつもりかもしれないが、すべて聞こえているよ、根岸君)
飴屋「聴いたよ。それを報告したくて」
根岸「え? き、聴いたって、何をですか!?」
飴屋「君の歌だ。先日、新坂跨線橋で」
根岸「ヒィィィィィィ!」
飴屋「君の歌声は——」
根岸「何も言わないでくださいっ! 批評なんかお断りです。がっかりして失望して、なんだこいつド底辺と呼ぶ価値さえないカス以下だなって思ったのはわかってますから!!!」
飴屋「がっかりだなんて。君の歌声は期待通り……いや、期待以上だったよ」
根岸「そ、そうですよね、俺に対する期待なんて、小学生の筆箱に入ってる15センチ定規で測れるくらいの高さしかないでしょうし、俺ができることなんて他の人も当然できるって証明しただけですよね。そもそも、期待なんか迷惑なだけで……だからイヤなんだ!」
飴屋「……わかったよ。僕は君に期待はしない」
根岸「は?」
飴屋「迷惑なのだろう?」
根岸「ええ、まあ……」
飴屋「その上で、僕は君に次期鶯谷LATCH!をお願いしたい」
根岸「LATCH!っていうのは、完璧な駅員でなおかつ、ひとたび改札を出ればキラキラ輝くスーパーアイドルなんでしょう?」
飴屋「もちろん、LATCH!であるために最低限必要なことは依頼するかもしれないが、基本的に君は君のやりたいようにやってくれればいい。変に気負う必要も、無理をする必要もない」
根岸「俺のやりたいように……」
飴屋(まあ、僕も僕のやりたいようにやるのだがね)
根岸「でもそれじゃあ、LATCH!とは言えないんじゃ——」
飴屋「定義に縛られて自由を失うほど、ナンセンスなことはないだろう。今現在、僕たちがどのように在るかがそのまま、今後のLATCH!の在り方になっていくのだからね」
根岸「つまり……俺は期待するに値しない存在だということですね」
飴屋「いや、君はすべてに値する。君が望むと望まざるとに関わらず、僕が君をそう判断していることは決して疑って欲しくはない。言いたいことは以上だ」
根岸「意味がわかりません」
飴屋「わからなくて構わない。僕が欲しい言葉は一つだけだ」
根岸「……」
飴屋(鶯谷の先代は、まったくもって正しかったようだ)
飴屋(歌がとびきり上手くて面白い男——。根岸優歌以上にその評価がふさわしい人物に、僕はこれまで会ったことがない)
飴屋「鶯谷のLATCH!を、引き受けてくれるかね?」
××××××
根岸「a/maze、ですか?」
飴屋「ああ。驚嘆すべき迷宮。今の僕たち二人がどのように在るかを表している、ユニット名にふさわしい言葉だとは思わないかね?」
根岸「俺、迷路とか苦手なんですけど」
飴屋「だったら、なおさら楽しめる」
根岸「……はいはい、わかりましたよ。どうせあんたは一度決めたら人の言うことなんてまったく聞きやしないのは骨身に染みてますから。a/maze、良い名前なんじゃないですかね」